第15回勉強会開催、「国際情勢の中の日中関係」

 5月17日、第15回勉強会が開催され、まずは野田英二郎・元インド大使から、「国際情勢の中の日中関係」をテーマにお話いただき、その後、先日北京から帰国した南村志郎・共同代表に、中国の現状について参加者からの質問に答える形でお話いただきました。

 野田さんは、朝河貫一、松本重治、加藤周一ら明治以来の先人諸賢の遺訓と警告を引き、いま再びこうした教えに耳を傾けるべきではないだろうかと述べた上で、これからの日中関係について、①歴史を再認識して国交正常化の原点に戻り、すべての係争は話し合いで対処すること、②中長期の観点に立って、地域安全保障の構築を検討し、『日中戦略互恵』と『日米同盟』の矛盾を克服すること、③国際社会では主として経済社会面――特に環境問題――における協力と貢献に努力すること、の3点を提言しました。

 また、オバマ大統領のアジア歴訪やウクライナ情勢によっても、日本をとりまく客観情勢の厳しさは、基本的に変化していないとみられると指摘しました。

 南村さんは、「中国の今の指導者層は、安倍首相のさまざまな言動から、安倍政権と日中関係改善を行おうとは思っていないのではないか」との質問に関連して、歴代の国家主席に比べ、習近平には確固たる地盤がないため、非常に焦っているように見受けられると指摘。暴動が多発していることについては、指導者がチベットや新疆等の少数民族自治地域に赴任することは単なる出世の手段となってしまっていて、少数民族政策が昔ほど上手くいっていないのではないかと述べました。

 また、舛添東京都知事の先の訪中については、「大きなことではあるが、ここから日中関係膠着に穴を空けることは難しい」と述べました。

 

第14回勉強会開催、「松村謙三と中国」

 4月19日、第14回勉強会が開催され、元朝日新聞社専務取締役、元朝日テレビ社長の桑田弘一郎さんから、「松村謙三と中国ー日中交流の井戸を掘った人」をテーマにお話いただきました。桑田さんは朝日新聞の政治部記者時代、松村氏の近くで当時の政局、日中関係改善の動きを取材し続け、松村氏の訪中にも何度か同行しています。松村氏の人となり、今だからこそわかる当時の思惑等を思う存分語っていただきました。

 桑田さんはまず、「1971年の築地本願寺での松村の葬儀には多くの市民が参列した。中国からも王国権中日友好協会副会長が参列した。松村は生前、日中交流に尽力したことをあまり自賛することはなく、自分の政治家としての業績は農地改革だと自負していたが、日中国交正常化への道筋をつけたことも大きな功績だと思う」と指摘しました。

 早稲田大学を卒業し、報知新聞社に入社した松村氏ですが、父親の急逝により帰郷し、その後、政治家の人生を歩むことになります。生家が富山の素封家であった松村氏は金儲けや営利に関係することを毛嫌いしており、まさに清廉潔白な政治家であったそうです。

 松村氏は、郭沫若、廖承志、そして周恩来と強い信頼関係と友情を結び、大所高所から日中関係の改善を慎重に進め、のちの国交正常化の土台となる「LT貿易」締結の道をひきます。周恩来からは、「松村さんは中日間の『総連絡』です」といわれるほど強い信頼を受けていました。そして、松村氏の永眠した翌年の1972年、日中国交正常化が実現するのです。

 「先人たちは関係改善のために血のにじむような努力を重ねてきた。それなのに、今の日中関係はどうしてこんなことになってしまっているのだろうか」との桑田さんの最後の問いかけに、参加者全員が考え込みました。

第13回勉強会開催、「日中関係の現状と課題」

 3月15日、第13回勉強会が開催され、横浜国立大学名誉教授の村田忠禧さんから、「日中関係の現状と課題」をテーマにお話いただきました。

 まず、近年の日本と中国の輸出入動向、外国人の訪日・訪中人数、アジア各国・地域への訪問者数、軍事費等の状況を具体的なデータを使って比較しつつ、周辺諸国は日本よりも中国との経済的結びつきが強くなっており、日本と組んで中国包囲網を構築しようと考える国は存在しないと指摘しました。また、他国と比較して、中国に対して「親しみを感じる」人が顕著に減少していることに懸念を示しました。

 そのうえで、現在の日中関係を改善するためにはとにかく「対話」が大切だと強調。「小さな無人島の争い」を互いの軍事増強の口実、ひいては戦争の発火点にさせてはならず、正確な事実の掌握、理論的解明のためには台湾、沖縄も含めた共同作業が必要であり、この島を、友好・協力の起点とすべきだと述べました。

 会場からは、日中両国は互いの主張を聞くことが必要、島問題の解決はそれだけを取り出して考えることはできず、両国関係の全体的な環境整備が重要等の意見が出されました。また、関係改善のためにどんな人々が連帯すべきかとの質問に対し村田さんは、「現状の打破は第二の国交正常化といってもよいと思う。1972年の日中国交正常化では民間の力が大きく働いた。今回も国民一人ひとりの力が大切だ」と答えました。

 

 

 

第12回勉強会開催、「日本の華僑、華人の歴史と現状」

 1月18日、2014年最初の勉強会と新年会が開催されました。勉強会では、東京華僑総会顧問の殷秋雄さん、中国通信社前社長の薛永祥さんから、日本における華僑・華人の歴史と現状についてお話いただきました。

 薛さんからは、華僑の来日由来や統一組織の結成等、日本における華僑の歴史を簡単に説明いただいた後、戦後の華僑の3つの事業(いずれも1950年代)について紹介がありました。

 3つの事業とは、①中国紅十字会代表団等の中国訪日代表団の歓迎、②華僑の集団帰国、③中国人強制連行調査と遺骨の収集・送還です。薛さんは、「いずれも日本の友好団体や関係者の協力があって実現できた」と指摘しました。また、中国本国が華僑に説いた心構えは、「華僑の間では団結を固め、居留国ではその国の友人たちと友好関係を深めなければならない」というものだったとのことです。

 殷さんは、東京華僑総会の成り立ちについて簡単に触れた後、現在、東京華僑総会が協力している「日中友好国際学校設立事業」について紹介しました。「日中友好国際学校設立事業」とは、中国人子弟が祖国の言語を勉強できないのは不正常であるとして自民・公明・民主の有志議員により提唱された事業です。

 現在、日本には約80万人の華僑・華人がいると言われており、そのうち、東京近辺には15,000人以上の学齢児童がいるが、中華学校はわずか3校しかないそうです。殷さんは、「学校の設立には多くの方々の協力が必要。皆さんのご理解とご支援をお願いしたい」と訴えました。

 勉強会の後は、中華料理店「維新號」に場所を移して新年会が開催され、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、楽しく和やかな語らいの時間を過ごしました。多くの参加者が、「日中関係の改善、相互理解には一人ひとりの直接の交流が大切。そのために自分が今できることをやっていく」と語り、この気持ちで一つになった会でした。

 当会は、勉強会開始からちょうど1年、正式発足からは半年経ちました。この間、毎月の勉強会に加えて、昨年5月末の訪中、11月末の日中関係シンポジウムの開催と、2つの大きな事業を実現させました。残念ながら、日中関係改善の兆しはなかなか見えてきませんが、これからも、民間の力を信じて、ささやかながらも相互交流を進めていきたいと考えています。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

第11回勉強会開催、「四川大地震における緊急援助と復興支援」

 12月21日、今年最後の月例勉強会が開催され、国際協力機構(JICA)の岡田実さんから、中国・四川大地震における日本の緊急援助と復興支援についてお話いただきました。また、大地震後に訪日した胡錦濤国家主席から感謝の意を込めて贈られた日本の緊急援助隊の活動をまとめたDVDも、特別に上映されました。(勉強会資料はこちら→1312勉強会資料

 2008年5月12日の四川大地震発生の際、JICA中国事務所の副所長であった岡田さんは、北京で、そして時には被災地の四川省で、日本の緊急援助隊のアレンジに尽力されました。

 四川大地震に際し、日本の緊急援助隊はいち早く現地に入り、真摯に全力で救助活動にあたりました。救助活動の中で日本人がみせた人道的な態度は、中国の人たちの間でも大きな話題となり、日本人に対するイメージを好転させました。ネットには、日本に対する感謝の言葉がたくさん書き込まれました。

 2011年3月11日の東日本大震災の際には、四川大地震のときに受けた恩を返そうと、JICA中国事務所に直接募金を届けに来る人がいたり、中国各地からたくさんの応援メッセージが届いたりしたそうです。もちろん、東北の被災地には中国の救助隊が入って救助活動にあたったほか、テントやガソリン等の支援物資も届きましたが、残念ながら日本国内ではあまり報道されなかったため、中国からの支援の状況を知る人は必ずしも多くありません。

 岡田さんは最後に、日中関係について、「本当に困ったときに助け合える関係、お互いに理解し、信頼し、尊敬する関係が大事なのではないでしょうか」と語りました。

「日中関係シンポジウム」成功裏に終わる

 11月28日に新宿NSビルにて開催された「日中関係シンポジウム」は、100名近くの参加者を得て、大成功の内に幕を閉じました。

 日中双方の基調発言の後、第一部は「現在の日中関係をいかに打開するか」、第二部は「新たな日中関係をいかに構築するか」をテーマに、日中それぞれ3名のパネラーが発言し、これに対して会場から多彩な意見が出されました。

 パネラー及び参加者は、各方面で長年、日中関係や両国間の交流事業に携わってきた方々であり、その意見や経験はこれからの日中関係を考えるうえで大変示唆に富んだものでした。

 「島」の問題がなかなか解決しないからこそ民間交流は非常に大切であり、「民を以って官を促す」の言葉のとおり、「島」問題の平和的解決を促す活動をささやかながらも続けていくことの重要性を再確認した有意義なシンポジウムでした。

※シンポジウムの詳細レポートはこちらをご覧ください。

第10回勉強会開催、「日本と中国の若者の対中・対日観」

 10月19日、第10回勉強会が開催され、ラジオパーソナリティーやフリーアナウンサーとして活躍中の光部愛さんに、若者の視点から中国に対する思い、中国の若者の日本の見方についてお話いただきました。

 フリーアナウンサーとしてだけでなく、中国の日本語雑誌『人民中国』の東京支局員としても積極的に日本と中国の架け橋として活躍している光部さんですが、最初から中国に興味があったわけではなく、むしろ何も知らずに中国に留学し、現地の人々と触れ合うなかで次第に中国に惹かれていったそうです。

 そして、2005年の反日デモのときに実際に見た風景と日本のマスコミが報道する中国の姿との違いに愕然とし、自分が肌で感じた中国を日本の人々に伝えていこうと帰国を決め、現在にいたるまで、等身大のことばでありのままの中国を伝えることに尽力しています。

 日中関係の悪化が問題視されているこの頃ですが、「若者は良くも悪くもあまり考えていない。隣の国だから仲良くしなければならないなどという既存の考え方にはとらわれないところで、新しい関係をつくっている」と述べ、そんなに心配することはないのではないかとの見解を示されました。

 今回は人民中国東京支局長の賈秋雅さんも出席され、中国側の若者として、日本の若者に対する思い、中国の若者が日本をどう見ているかについて意見を述べられました。

第9回勉強会開催、「日本と中国の近代化から日中戦争の勃発まで」

 9月21日、第9回勉強会が日本プレスセンタービル9階の大会議室で開催され、依田憙家・早稲田大学名誉教授から、「日本と中国の近代化から日中戦争の勃発まで」をテーマにお話いただきました。

 依田先生はまず、日本は速やかに近代化が進んだ一方、中国は近代化が後れた理由について次のように指摘されました。

 「近代化」は西欧を発端とするため、西欧の知識や学術を取り入れることが重要となる。日本は、「漢学によって人々の知見が開かれていた」(杉田玄白)ため、洋学を取り入れ、発展させる素地ができていた。
 また、日本は、儒学の有効範囲をはやくから限定しており、政治理念や日常の倫理には有効だが、物事の法則、自然科学には有効ではないとし、ここに西洋の自然科学分野の考えを学問として取り入れた。
 中国の「冊封体制」も大きく影響している。西欧列強は中国の冊封体制を破ろうとアジアに入ってきたのであるが、冊封体制の外にいた日本を、冊封体制を破るパートナーとしようとした。
 そして重要なことは、近代化は統一国家があってこそのものであるが、日本は明治維新によって統一国家ができた。一方の中国は清末の動乱の時期で、統一国家をつくるのが難しかった。
 上記のような理由により、中国の近代化が遅れ、これが日本と中国の格差となってしまった。

 他方、第一次世界大戦以降、戦争は国家と国家の戦いになり、総力戦体制をつくらなければならなくなります。その前提として、日本は「満州」が必要になり、それが「満州事変」や「盧溝橋事件」につながっていったと指摘されました。

第8回勉強会開催、「最近の中国情勢」

 例年にない厳しい暑さが続いておりますが、8月の勉強会も予定通り開催されました。以下は、横堀代表による勉強会のレポートです。

 

 第8回勉強会は8月17日(土)、東京華僑会館で開催され、一時帰国中の南村志郎・「日中未来の会」共同代表が「最近の中国情勢」について報告した。

 報告のポイントは、習近平新体制の発足後、「大衆路線」などの毛沢東時代によく使われた言葉が復活し、「四つの悪風」(形式主義、官僚主義、享楽主義、贅沢の風潮)を追放する動きが活発化していることだ。高級幹部から、無制限に使えるカードやゴルフ会員権を提出させるなどして、「悪風」退治が大規模に始まっている。

 その中心人物は王岐山・政治局常務委員である。彼は本来、金融の専門家だが、習近平主席はあえて王岐山を中央規律検査委員会書記に任命した。王岐山は姚依林・元副総理の娘婿で、「太子党」の一員という立場を生かし、汚職腐敗追放を全国規模で展開している。

 もう一人、注目すべき人物は、中央書紀処書記の王滬寧。彼は、復旦大学の教授だったが、中央に招かれ、江沢民の「三つの代表」、胡錦濤の「科学的発展観」、習近平の「中国の夢」の理論を編み出したとみられる。

 また党中央弁公室の主任の栗戦書、人民日報社長の楊振武も注目すべき人物である。習近平が河北省定県の書記をしていた当時、彼らも河北省の他の県の書記をしていた関係で、深い交友関係にあるという。

 習近平体制は汚職や腐敗との戦いを始めたが、それが成果をあげられるかどうかはまだわからない。高級幹部が国営企業の権益を握っているため、これを打破できるかどうかが問われている。

満蒙開拓平和記念館(@長野県阿智村)

 7月27日、当会の横堀克己代表、横堀雅子さんと一緒に長野県下伊那郡阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」に行ってきました。

 東京から中央自動車道を利用して約4時間。「飯田山本IC」で高速を下りてのどかな田園風景の中を5分ほど走ると、木造平屋建ての落ち着いた建物が見えてきます。 満蒙開拓平和記念館

   

      専務理事の寺沢秀文さんによると、今年4月25日の開館以来、多くの方が足を運び、来館者はまもなく1万人に達するとのこと。私たちが訪れた日も30人ほどの方が熱心に展示物を見学していました。

 木の香りが漂い、ぬくもりのある館内では、戦前から戦後に至る満蒙開拓の歴史が時系列に紹介されています。

 日本は中国東北部に建国した「満州国」に、国策として多くの農業移民を送り込みました。長野県はその「満蒙開拓団」が全国で飛び抜けて多く、その中でもこの飯田下伊那地域は一番多い地域だそうです。

 この日はちょうど、語り部定期講演が開催され、岐阜県加茂郡白川町より「黒川村開拓団」として渡満された佐藤ハルエさんのお話を聞かせていただくことができました。書籍やテレビ等では開拓団に参加された方の体験を読んだり目にしたりしたことがありますが、直接お話を聴くのは初めてで、戦争の不条理、悲劇、平和の尊さを改めて考えされられました。 佐藤ハルエさん

    パンフレットには、「前事不忘、後事之師―前事を忘れず、後事の教訓とする―」の言葉が記載されています。寺沢さんは、「この記念館は決してこの歴史を美化するものではない。この歴史を風化させることなく後世に伝え、平和について考える拠点としたい。」と話していました。

 交通は少し不便なところにありますが、近くには「昼神温泉」や「天竜峡」等景勝地も多くありますので、ぜひ足をお運びください。

ホームページ管理人 原 絢子

満蒙開拓平和記念館ホームページ
http://www.manmoukinenkan.com/