9月21日、第9回勉強会が日本プレスセンタービル9階の大会議室で開催され、依田憙家・早稲田大学名誉教授から、「日本と中国の近代化から日中戦争の勃発まで」をテーマにお話いただきました。
依田先生はまず、日本は速やかに近代化が進んだ一方、中国は近代化が後れた理由について次のように指摘されました。
「近代化」は西欧を発端とするため、西欧の知識や学術を取り入れることが重要となる。日本は、「漢学によって人々の知見が開かれていた」(杉田玄白)ため、洋学を取り入れ、発展させる素地ができていた。
また、日本は、儒学の有効範囲をはやくから限定しており、政治理念や日常の倫理には有効だが、物事の法則、自然科学には有効ではないとし、ここに西洋の自然科学分野の考えを学問として取り入れた。
中国の「冊封体制」も大きく影響している。西欧列強は中国の冊封体制を破ろうとアジアに入ってきたのであるが、冊封体制の外にいた日本を、冊封体制を破るパートナーとしようとした。
そして重要なことは、近代化は統一国家があってこそのものであるが、日本は明治維新によって統一国家ができた。一方の中国は清末の動乱の時期で、統一国家をつくるのが難しかった。
上記のような理由により、中国の近代化が遅れ、これが日本と中国の格差となってしまった。
他方、第一次世界大戦以降、戦争は国家と国家の戦いになり、総力戦体制をつくらなければならなくなります。その前提として、日本は「満州」が必要になり、それが「満州事変」や「盧溝橋事件」につながっていったと指摘されました。