第14回勉強会開催、「松村謙三と中国」

 4月19日、第14回勉強会が開催され、元朝日新聞社専務取締役、元朝日テレビ社長の桑田弘一郎さんから、「松村謙三と中国ー日中交流の井戸を掘った人」をテーマにお話いただきました。桑田さんは朝日新聞の政治部記者時代、松村氏の近くで当時の政局、日中関係改善の動きを取材し続け、松村氏の訪中にも何度か同行しています。松村氏の人となり、今だからこそわかる当時の思惑等を思う存分語っていただきました。

 桑田さんはまず、「1971年の築地本願寺での松村の葬儀には多くの市民が参列した。中国からも王国権中日友好協会副会長が参列した。松村は生前、日中交流に尽力したことをあまり自賛することはなく、自分の政治家としての業績は農地改革だと自負していたが、日中国交正常化への道筋をつけたことも大きな功績だと思う」と指摘しました。

 早稲田大学を卒業し、報知新聞社に入社した松村氏ですが、父親の急逝により帰郷し、その後、政治家の人生を歩むことになります。生家が富山の素封家であった松村氏は金儲けや営利に関係することを毛嫌いしており、まさに清廉潔白な政治家であったそうです。

 松村氏は、郭沫若、廖承志、そして周恩来と強い信頼関係と友情を結び、大所高所から日中関係の改善を慎重に進め、のちの国交正常化の土台となる「LT貿易」締結の道をひきます。周恩来からは、「松村さんは中日間の『総連絡』です」といわれるほど強い信頼を受けていました。そして、松村氏の永眠した翌年の1972年、日中国交正常化が実現するのです。

 「先人たちは関係改善のために血のにじむような努力を重ねてきた。それなのに、今の日中関係はどうしてこんなことになってしまっているのだろうか」との桑田さんの最後の問いかけに、参加者全員が考え込みました。