6月21日、第27回勉強会が開催され、当会会員の小松碧さんから、「聶耳と藤沢市」をテーマにお話しいただきました。中国の国歌「義勇軍進行曲」の作曲者である聶耳は、23歳の若さで藤沢市の鵠沼海岸で亡くなりました。その死をいたんだ多くの市民により記念碑が建てられ、藤沢市と聶耳の生まれ故郷・雲南省昆明市とは長きにわたり友好を深めてきました。
小松さんは、聶耳の私的な写真やエピソードをふんだんに交えながら、一人の人間としての聶耳を紹介してくださいました。共産主義活動に目覚めた聶耳は、若くして音楽の才能を発揮し、左翼系映画・演劇の楽曲を数多く作曲します。1935年に国民党の追及を逃れて日本へ渡り、「義勇軍進行曲」を完成させました。そしてその年、湘南の海で遊泳中に帰らぬ人となったのです。
聶耳の記念碑は藤沢市民有志の呼びかけで1954年に建造され、その後台風で流されたものの、1965年に再建されました。1981年には、藤沢市と昆明市が聶耳生没地の縁で友好都市提携を締結しました。今でも、聶耳を通じた両市の交流は続いているそうです。
小松さんは最後に次のように語りました。
「聶耳の遺した曲は今も人々の心に生きています。『義勇軍進行曲』は抗日映画『風雲児女』の挿入歌ですが、公開されたときには聶耳はすでに日本にいて、その日本で亡くなりました。その死が、次の世代の友好の礎になろうとは誰が想像したでしょうか」