敗戦降伏70年

野田 英二郎(元インド大使)

 本年1月元日の各紙が報じた天皇の『年頭のご感想』において、天皇は「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えて行くことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられている。本2015年初頭の時点で、歴史の教訓を忘れないことの重要性を改めて強調された意義は大きい。また、『戦争』が満州事変からだとされている点も注目すべきである。

わが国では、従来からしばしば『戦前』という言葉が、いつからが『戦前』なのか、はっきりしないまま、用いられてきた。しかし、この『ご感想』で、天皇が、この『戦争』は、1941年12月8日の対米英宣戦布告からでなく、10年遡る1931年の9月18日に日本が始めた満洲事変からであると認められたことは、歴史の認識として、少なくとも公式の文書では、初めてのものとして評価したい。

この『ご感想』は、敗戦降伏に至った歴史の反省から出発し、維持されてきた国のあり方―普遍的な政治倫理を掲げている憲法のもとで、平和と人権と民主主義を守ってきた国のあり方―の積極的意義を再確認されたものと解される。

そこで、後藤田正晴と加藤周一両氏の言葉を思い出す。

後藤田氏は、『現行憲法は、日本が署名し、批准した1928年のパリ不戦条約(〈戦争放棄に関する条約〉。自衛と制裁の場合を除き、一切の戦争を禁じた条約)に始まり、国連憲章の制定に示された普遍的理念を受けついだもので、この憲法のもとでの日本の戦後の歩みは間違っていなかった、しかし、若い世代は戦争を知らない。憲法改正は当然だ、などといっている。最近の雰囲気は、昭和五、六年頃に似てきており、危ない』と、朝日新聞紙上などで述べていた。

加藤氏は、日本が韓国を植民地支配し、中国に侵略戦争を行ったこと、更に、加害者であった過去の歩みを、戦後、ドイツのようには、きっぱりと反省しないままで今世紀に入った、これらの歴史の反省がなければ、将来の展望は開けない、と憂慮していた。

これら両氏の懸念が杞憂でなかったことが、今日、ますます明らかになっている。中国や韓国が不信感と警戒心を再三示しているのみならず、米欧の世論でも、日本の現政権は、歴史修正主義者である、との批判(米国の議会事務局の報告書)がきかれる。ロシアも、70年記念式典挙行に際して、首脳レベルで相互に出席することで中国と合意した、と報ぜられている。

村山首相談話(1995年)や河野官房長官談話(1993年)は、まさに、このような国際社会の不信を払拭する役割を担ってきた珠玉の文書である。『植民地支配』や『侵略』、更には、従軍慰安婦問題についての痛切な反省やおわびを表明したこれら重要文書の意義が、もし安易に否定されることとなれば、時代錯誤もはなはだしく、わが国は、1930年代の国際孤立に逆戻りするおそれさえあろう。

天皇の年頭の『ご感想』に強い感銘をうけたので、所見以上のとおり。

(2015年2月1日 記)

(『日中月報』2015年2月号より)