日中の対立はどうしてここまで深くなったのか

横堀 克己(元朝日新聞北京支局長、論説委員)

  尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化を契機に、中国全土で燃え盛った反日の嵐の直後、中国で一冊の本が出版された。「東海維権 中日東海・釣魚島之争」である。「東海」とは東シナ海を指す。

 著者はその海を管轄する「中国海監東海総隊の副総隊長」を勤め、現在は退職した郁志栄氏である。郁氏は北京大学日本語科を卒業後、京都大学で国際海洋法を学び、1980年代初めから国家海洋局傘下の「海監」(海洋監視船)で、東シナ海の第一線の実務に当ってきた。

 郁氏はその序文の中で、現在の中国の立ち位置についてこう書いている。

 「日本に対して、中国はまさに十字路に立っている。『主権帰我擱置争議共同開発(主権は我に属するが、争いをわきに置いて、共同開発する)』の十二字の既定方針を堅持するか、あるいは日本の立場や態度の変化に鑑み、これまでの戦略方針を調整し、『真っ向から対決し、寸土を争う』か、である」

 これまで十二字方針で、領土問題は棚上げし、将来にその解決を委ねる(1978年の鄧小平氏の発言)としてきた中国を、全面対決との十字路にまで追い込んだのは、民主党の責任である、と郁氏は書く。

 「民主党が政権を取った後、大きな変化が生じた。樹静まらんと欲すれど、風やまず。中国の退路を断ち、中国側の考える『緩やかな解決』の既定方針が水泡に帰すよう企てた」

 郁氏は日本という国をよく理解し、俳句を詠むほどだ。長く、東シナ海の日中石油・ガス田の共同開発交渉にも参加してきた。その彼がいま「受け身に回ってあわてて応戦するよりは、全面的に動員し、考えの筋道をはっきりさせ、策略を調整し、主導的に対応する方がよい。中日関係の大局を維持し、東海を平和と友好、協力の海にするという原則的な精神は変えないという全体的な方針の下、主導的、積極的に万全の策をとる」という考えに傾いている。

相手の気持ちを無視した外交

 日中の対立がここまで深まった直接のきっかけは、2012年4月に石原慎太郎東京都知事(当時)がワシントンで打ち上げた「尖閣購入」の表明である。翌5月に開かれた日中首脳会談で、温家宝総理は「中国の核心的利益と重大な関心を尊重することが大事だ」としたのに対し、野田首相(当時)は「尖閣を含む海洋での中国の活動の活発化が、日本国民の感情を傷つけている」と反論し、論争はエスカレートした。

 そして野田首相が尖閣の国有化の方針を正式に表明したのが7月7日。この日はちょうど75年前、北京郊外の盧溝橋で日中が軍事衝突し、日本の全面的な中国侵略戦争が始まった日であった。毎年、中国ではこの日を「七七事変」と呼び、北京・盧溝橋の抗日紀念館をはじめ各地で、「国恥を忘れない」集会が開かれる。よりによってこの日に、中国側が「神聖な領土」としている尖閣諸島を日本が国有化するというのは、日本政府が尖閣の実効支配を強め、現状を変更しようとしていると中国側には映った。

 さらに9月9日、ウラジオストクで開かれたAPEC首脳会議。野田首相と胡錦濤国家主席との正式な会談は実現せず、「立ち話会談」となった。

 胡錦濤主席は厳しい表情で「中日関係は釣魚島問題で厳しい局面を迎えている。日本側のいかなる島の購入計画も不法かつ無効で、中国は断固反対する。日本側は事態の重大さを十分認識して誤った決定をせず、中国側とともに両国関係発展の大局を維持してほしい」と述べた。

 これに対し野田首相は「現下の日中関係には、そういう事を含めて大局的な観点から対応したい」と応じた。

 この答えから中日側は、日本政府は尖閣の購入をただちに行うことはないだろうと読んだに違いない。ところが2日後の11日、日本政府は尖閣の国有化を閣議決定した。最高指導者のメンツをつぶされた中国側が怒るのは無理からぬことである。温家宝総理は「半歩も譲らない」と表明した。そして「海監」の監視船が過去最多の6隻も尖閣の日本の領海に入り、現在まで繰り返し「海監」と日本の海上保安庁の巡視船のにらみ合いが続いている。

 8月ごろから始まった反日の動きは、日本の国有化決定で一挙に爆発する。9月15、16日には各地で反日デモが起き、日系企業やスーパーが略奪や放火されたことは、ご存知の通りである。

 中国の当局は「理性的な愛国」を呼びかけ、暗に暴力行為を批判してはいる。しかし、略奪や放火に対する公式な謝罪や賠償はない。ネットの反日言論はますます激しく、「尖閣を軍事占領しろ」という極論まで出ている。政府もこうした声に押されて対日強硬路線を取らざるを得ない。まかり間違えば、「売国」と言われ、矛先が自らに向いてくるかもしれないからだ。

マスコミにも大きな責任

 言論の自由のない中国のマスコミは、共産党や政府の批判はできないが、「反日」ならば恐れることはない。庶民は、一時的には「反日」気分で盛り上がったが、今はすっかり醒めている。しかしマスコミは依然、強硬で、冷静な報道は少ない。

 軍の機関紙『解放軍報』は1月14日付けで「軍総参謀部が全軍に『戦争の準備をせよ』と指示した」と報じた。また15日付け『中国国防報』は「数年内に釣魚島の上空で、無人機が衝突する可能性はきわめて大きい」と報道するなど、軍事緊張を煽っている。

 それと因果関係があるかどうかはわからないが、東シナ海で1月19日、海上自衛隊のヘリコプターに中国海軍フリゲート艦から火器管制レーダーが照射され、さらに1月30日には中国海軍フリゲート艦から3キロ離れた海自護衛艦に対し、火器管制レーダーの照射された、と、2月5日、小野寺防衛相が発表した。

 当初「知らなかった」としていた中国の外交部は、その後「日本のねつ造」と反論し、マスコミも「ねつ造」と論じた。しかしこの経緯から見て、レーダー照射が中国の最高指導部の指示で行われたわけではないと思われる。

 もっとも日本の一部新聞やテレビも褒められたものではない。「釣魚島は自国の領土」と主張する中国側の主張の根拠をほとんど報道せずに、「領土問題は存在しない」という政府の主張を鵜呑みにしている。その当否はともかく、中国にも「歴史的にも国際法的にも自国領である」という論理があるのだ。 

背後に米国の影

 尖閣紛争の、もう一人のプレーヤーは米国である。「日本の施政権は認め、日米安保条約の適用範囲ではあるが、領有権に関しては一方の主張には組みしない」というのが米国の尖閣諸島に対する立場である。これはソ連崩壊後の米国の基本的立場から来ている。それは、米中の協調関係(とくに経済の)の維持、米国の西太平洋の軍事的優位の保持、日米安保条約の強化にある。

 ある意味で今回の尖閣問題は、米国にとっては好都合である。これによって日中間は長期にわたって対立関係が続き、軍事的には日本の米軍依存度が高まり、中国の西太平洋への進出も阻止できる。尖閣紛争の間に、オスプレーは沖縄に配備された。

 尖閣に対する中国の軍事的侵攻の危険を声高に叫ぶ論者もいるが、現在の米中の軍事的バランスではありえないことである。そのことは、実は中国自身が一番良く知っている。

 冒頭に紹介した郁氏はこう書いている。

 「米国は終始、中日の釣魚島の主権帰属の争いのテコを操り、コントロールしてきた。中国側がすぐに釣魚島の領土の主権紛争を解決しようと思っても、米国の“許可”なしには根本的に不可能である。釣魚島が歴史的にも法理的にも誰に属すべきなのか。米国がわからないように装っているのは、それを用いて中日関係を制約し、米国のために利益をはかろうとしているのだ」

(出典:月刊『マスコミ市民』)