日中両国関係の現在と将来

野田英二郎

 今日の日中関係は、遺憾ながら、国交正常化以来、最悪の状況に陥っている。しかし、両国は2000年の交流の歴史をもち、切っても切れない相互依存の経済関係もある。日本としては、話し合いによって事態を適切に処理し、共存共栄をはかる以外の選択肢はない。

 尖閣(釣魚)について考える。日本が1880年当時、独立国であった琉球王国を領土に編入した際、尖閣は含まれていなかった。日本が尖閣を領土としたのは、甲午戦争中の1895年である。その後、1943年11月、連合国の対日戦争の目的及び戦後のアジアの国際秩序を策定するため、エジプトのカイロで米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中国の蒋介石大総統の三首脳が会談して発表した『カイロ宣言』において、日本が中国から『窃取した領土』は中国に返還される旨明記された。この宣言は、1945年7月の『ポツダム宣言』の第八項にうけつがれ、更に、1972年9月の日中国交正常化の共同声明でも、『ポツダム宣言第八項』は守られる旨記されている。

 このような歴史の流れに鑑みれば、尖閣は中国の領土であるべきだとの中国の主張には道理があり、他方、『尖閣は日本国有の領土であり、領有権の問題は存在しない』との日本側の主張には説得力が乏しい。日本側の立場からは、サンフランシスコ平和条約をその戦後外交の起点とするところであるが、中国が、この条約には参加しておらず、法的に拘束されないと主張している点も無視できない。何れにせよ、この問題については、両国の主張が一致していないという事実を直視して、対応せねばならない。

 国交正常化交渉を担当した栗山尚一氏(当時の条約課長、のちに外務次官、駐米大使)は、この交渉を回想し、解決の方途が見出せない以上、解決しないことをもって、当面の解決とする以外になかったので、これを『黙示の諒解』と解し、『棚上げ』と呼んだ旨解説している。事態を鎮静させるには、この当時の『黙示の諒解』に回帰し、交渉のテーブルにつくしかない。この紛争については、中国周辺の海域における米国海空軍の諸般の行動が、中国側を刺激しているなどの状況も背景にある。中国が米国に対し、首脳レベルでも求めている『二大大国間の対等の関係』の今後の発展に期待したい。

 もちろん、尖閣を巡る日中の紛争は、日本が二国間の交渉に入り適切に処理すべきは当然であるが、我が国として同時に念頭におくべきことは、『日米同盟』を『外交の機軸』とするという硬着した外交姿勢が、今日の世界で時代錯誤であるのみならず、中国及び他のアジア諸国との協力の推進を困難にし、特に中国との『戦略互恵』関係と矛盾することである。中国との友好信頼関係がなければ、我が国はアジアで孤立し、アジアで孤立すれば世界で孤立する。これこそは、われわれが敗戦降伏に至った明治以来の歴史で学んだ教訓である。『日本には仮想敵国はない。況や米国と共通の仮想敵国はない。故に、日米安保条約は終了させて、平和友好条約に切り替えるべきだ』とは、故後藤田正晴氏が繰り返し主張されたところである。

 そこで、長期的大局的見地により検討すべきは、アジアの地域安全保障体制を構築するという課題である。これについては、先ず1996年9月に中国の李鵬首相が『アジアの状況に合った地域安全保障協力を推進し確立する』ことを提唱している。2007年9月には、中国人民外交学会の楊文昌会長が『人民中国』誌上で、『六ヶ国協議体制』を将来は北東アジアの安全保障のための組織に発展させてゆくべきものと提言した。米国のライス米国務長官も2008年7月のシンガポールでの六ヶ国協議非公式会合の席上で、楊文昌提言と同趣旨の発言を行ったと報道された。

 六ヶ国協議は現在までのところ、北朝鮮問題のみに焦点をあてているが、今後は当然、日本の安全保障を含む地域の安全保障のすべての局面を討議の対象とすべきであろう。

 現在、北朝鮮の核武装は認めないとの国際的合意が形成されているが、今後、緊張緩和が進めば、朝鮮半島全体の非核化が要請されることとなり、在韓米軍の撤収が課題となる可能性もある。

 日本についていえば、広島長崎に続く福島原発事故の衝撃は深刻であり、破壊力において、原発と核兵器の両者は本質的に異ならないことが証明された。民間の主張では、『脱原発』と『核兵器廃絶』がひとつの力になりつつある。沖縄をはじめとし、核兵器の存否が曖昧な在日米軍基地の存続に反対する世論も強まるであろう。今後、南北朝鮮の非核化が進み、日本も加わった三国が北東アジアの非核地域を形成することになれば、北東アジアの平和の安定を齎すことになろうし、これこそ六ヶ国協議体制の理想的目標となるであろう。もっとも、このようなシナリオが実現する上では、この地域における米国の軍事的プレゼンスの縮小が求められることは避けられまい。米国国内の軍事予算削減等を求める世論の動向や、米中『二大大国』間の実りある大局的協議で緊張緩和が進むことを期待したい。民間交流による非公式意見交換の効果をも念頭におきたい。

 ここで、日本の国のあり方の問題に戻る。日本では日米安保条約――これはもはや終了させるべきだとの後藤田正晴氏の主張を挙げたが――による対米協力至上の政策が依然として憲法より上位にあるかのような権威をもっている。敗戦降伏から既に68年。筆者より若い世代の日本人にとっては、幼少の頃から、或いは出生の時から、既に占領以来の惰性で首都圏及び沖縄を含む全国各地に米軍が駐留を続けている。違和感をもたないとしても、やむをえない。しかし、これは正常ではない。筆者は1970年代に、かつてのチェコスロバキアに在勤した。同国には、当時のいわゆるソ連圏の他の国と同じく、ソ連軍が首都圏内などに駐留しており、ソ連に対する関係では対等の独立国とは言い難い姿であった。現在の日本が異なると言えるか疑わしい。

 日米安保条約が北東アジアの安定に貢献したことは歴史的事実として評価されてよいが、その本来の使命は、後藤田氏が指摘していたとおり、かなり以前から既に果たし終えて、寿命がきている。これを延命させるために殊更強調され続けてきたのがいわゆる『アジアの不安定要因』と言ってよい。

 この地上のものすべてと同じく、国際条約にも始めがあれば終りがある。日英同盟も当時のアジアで一定の役割を果たしたが、20年で終了した。米国主導で中国と太平洋の問題を討議した1921年から22年のワシントン会議で、日英同盟は終了し、四ヶ国条約と九ヶ国条約という『ワシントン体制』と呼ばれる平和維持体制にその役割を発展的にひきついだ。この新しい体制の構築には、日本の外交家幣原喜重郎が、中国の外交家王寵恵の信頼をえながら積極的役割を果たした。従来の体制の葬儀を行ったのではなく、英語でいうコメンスメントcommencement(卒業)と解すべきだ。日本はこの歴史を想起すればよい。日本安保条約は、その歴史的意義に賛辞を呈して『卒業』とし、時代に適した六ヶ国協議体制に移行することとし、日本は、この機構の重要な一員として、積極的役割を果たす決意を示すよう提言したい。沖縄の事態で明らかである通り、在日米軍基地の存在は、むしろ日米両国国民の間の友好の最大の阻害要因となっている。米国が、その在日基地をいつまでも維持することのプラスとマイナスを大局的長期的観点から再検討するよう、米国の有識者たちに勧告したい。

 われわれ日本人は、改めて、1945年の敗戦と降伏に至ったのち、過去の歩みを反省して国際社会普遍の倫理観を高く掲げる憲法を採択し、平和愛好国家たるべきこと、主権在民の民主主義国家たるべきことを誓ったことを想起し、これに思いをいたすべきである。

 かなり以前から、中国及び韓国その他のアジア諸国のみならず、米国および西欧諸国から、日本は第二次世界大戦の結末の歴史を忘れようとしているとの不信が表明されている。我が国の複数の有力政治家の少なからぬ発言等に鑑みれば、国際社会の指摘は誤解とはいえない。このような不信を払拭しなければ、1930年代と同じく、日本こそがアジア最大の不安定要因と評される惧れがある。歴史を直視し、憲法を守り、平和に徹して、はじめて、我が国の今後のあかるい展望が開かれることを銘記すべきである。日中関係の将来もこの一点にかかっている。